日本コムシンク株式会社様の育成論育成論について————最初に、現在人材育成についてどのようなお取り組みをされているのかを教えてください。山里様:私が経営者という目線で取り組んでいることと、人事が組織開発の一環として取り組んでいることの両方の視点があります。その中から、主に私からの提案として、方針を決めている部分がありますので、その内容に基づいたいくつかの施策を紹介させていただきます。一番大きいのは、コンサルタント養成所の運営です。当社はエンジニア領域に強みがあるのですが、それだけでは今後立ち行かないという危機意識があります。経済産業省が2019年に出している「IT人材需給に関する調査」を見て、この意識はより強まりました。以来、私にとって、この「IT人材需給に関する調査」は一番の指標になっています。特に、「今後は従来型のIT事業をやっている人たちはどんどん余っていきますよ」と警鐘を鳴らしていて、これだけ人材不足と言われている中で、該当人材は余る、飽和すると言われています。従来型というのはシステム開発の工程を上流から順番に落としていき、与えられたパートを品質良く納める人たちで、比較的受け身型の仕事になります。一方で、先進型IT人材と言われている方々は、AIやICTを使って事業会社さんのビジネスをグロースさせるための応用や提案ができる人材と定義されています。2019年時点では、先進型IT人材自体それほど需要がなかったのですが、今後「爆発的に需要が伸びていきますよ」という話になっています。これが需要でいうと約9倍に増加すると予想されているのに対して、従来型の人たちは需要がほぼ一定、むしろちょっと減っていくという予測さえあります。このような予測の中で、当社社員の9割は従来型でした。だから、この需要と供給のバランスが本当に実現するのならまずいなと思っていまして、それに目を付けたのが2019年、発表されてすぐでした。私が代表になったのも2020年だったのですが、その際「今の業界を動かすための指標は何だろう」と思った時に、この先進型IT人材の育成がありました。「IT人材需給に関する調査」を見てから、どうやったら需要が発生する側の先進型IT人材に社員を移り変わらせていけるだろうと考えてみたのですが、馴染のある言葉に言い換えるとコンサルタント化だなと思ったんです。従来、エンジニアは新人だったらテスト工程をやってみるところから始まり、少しずつできるようになると設計になり、要件定義というところまで上って行くのですが、上流エンジニアと呼ばれるのは大体の場合はこの要件定義までです。上流エンジニアでも、案件の発生段階っていうのはほぼ伺い知ることがなくて、こういうシステムが必要なんですねっていう入出力から仕事が始まります。でも、それ以上の上流を誰がやっているかを考えるとコンサルタントなんですよね。一番上には、戦略コンサルタントがいて、「こんな事業改革、新規事業をやりましょう」という話をして、グロースできるイメージが固まると移行していきます。ここからは、ITコンサルタントと言われる人たちがシステムの企画をしていきます。「この新規事業をやるためにはこういうシステムが要りますよね」、「どれくらいのコスト感でどの会社に発注するのか」といったスケジュールを決めていきます。そして、具体的な要求を叶えてくれるシステムにするためにはという内容を解決していくのがDXコンサルタントです。RFP(提案依頼書)を作るところ、必要なシステム要求を提案・整理するのがこのコンサルタントで、これが私たちの直営でできるとなると、我々エンジニアから顧客側のビジネスまで突き抜ける瞬間が来るなと思いました。つまり、この突き抜ける瞬間とちょうどクロスしている地点で、私たちエンジニア界隈とコンサルタント界の棲み分けがあるのが現状ですね。じゃあ、私たちが顧客側に行くためにはどうしたらいいんだろうと考えてみると、マインドチェンジがカギになることにたどり着きました。受け身型から提案型にマインドチェンジをすることで、エンジニアリングを持った状態でコンサルタントにキャリアチェンジするということを支援したくて、コンサルタント養成所を立ち上げました。————実際にこの養成所を作らずとも現在だけで見ると、受け身で仕事ができてしまっている面もあると思います。それでも能動的に行動を起こすことを理解してもらうために意識されたことはありますか。山里様:ここはかなり苦労しましたね。やはりコンサルタントになるという目標に対して、社員の中には反発するものもいました。実際に「明日からコンサルタントという意識を持って働きなさい」と伝えても、多くの場合は「名前が変わるだけで、イメージがつきにくい」というような声もありましたね。他にも、「できないことに挑戦することは逆を返すとお客様をちょっと騙す行為にも近いんじゃないか」と言う社員もいました。他方で、ものづくりがしたいと考えているエンジニアは、コンサルタントは喋るだけで、ものづくりはしないと思っている人も多く、反対意見はだいたいその2つぐらいに分けられるのではないでしょうか。こういった状態を見て、イメージが伝わりきっていないという感覚がありました。こうなると事例を発生させて紹介するのが一番早いです。例えば能力がすごく高いエンジニアが大手の下で2次請けの仕事をしている人の事例を挙げます。この人が翌月からコンサルタントとして大手コンサルファームと一緒に働き、エンジニアの経験を活かして、同社の提案部隊を手伝います。そうなった瞬間に能力は一緒なのに、役割が変わるだけで、単価がいきなり1.5倍になりました。さらにこの担当者に若手を一名つければ、付加価値がプラスアルファでつくので、若手自体も次の案件で高い単価で迎えてもらうことができます。更に、継続して案件の中で成果を出して行くことで、3ヶ月後には単価を引き上げることができました。エンジニアの市場から見ると高額に思えますが、角度を変えることでより成果に見合った報酬を得ることができます。そこに足を踏み入れることで、私たちの中でもコンサルタントの仕事が現実味を帯びてきました。今まで何をしていたんだろうという違和感さえありましたね(笑)————エンジニアとしての頭打ちな環境から更に踏み出して、コンサルの領域でも評価が上がってってことですね。山里様:そうですね。その際、もちろん待遇も上がるので、コンサルタントとしての負担はあるものの社員に還元できるのも嬉しいことですね。社員たちの中でこういったチャンスを活かせた面々は、ほとんどの人たちが楽しんで仕事をでき、裁量も明らかに広がりましたね。————とても良い循環が生まれていきそうな感じですね。山里様:確かにエンジニアリングという領域では、決まったところをいかに実現するかに留まってしまうようなニーズが一番多いと思うのですが、同じエンジニアが提案までしてくると、発注する側がイメージできていないような、現場の経験があるからこそできるような提案やディスカッションができるというメリットもあると思っています。そうなると必然的にコンサル専門でやられてきた人たちとはまた違った目線で、現場を見てきたからこそ持っている知見や知識、アイデアといったものに大きな価値もあるのかなと感じています。純粋に領域が拡大しているわけですから、それが優位性につながるのではないかと思います。————これはますます伸びてくるような未来がイメージできますね。山里様:そうですね。もっと伸ばしたいところではあるのですが、ただみんながみんなそういうキャリアチェンジができるとは思っていなくて、やっぱり中にはうまくいかない事例もありますよね。コンサルタント化にチャレンジしてみたけど、コンサルタントとしての働き方に徹することができない、と言ったような場合もあります。コンサルタントとして、キャリアアップできるのは現状だとチャレンジしたうちの半分ぐらいかなと見ています。————挑戦するからには、当然失敗するリスクといったこともあると思うのですが、このリスクを踏まえても、挙手した人たちに等しく挑戦の機会を与えていくことには、何か軸になる考え方があるのでしょうか。山里様:自分のキャリアを上げたいとか、自分を軸に考えて意欲的な人は、これからも重要視していきたいですし、それこそがやっぱり提案型だと思うんですね。自分のキャリアを提案できない人が、コンサルタントのように多くのものを提案することは難しいですよね。能力が高くてもやっぱり手を挙げてこない人は、こっちからは応援しようがないと思っています。————コンサルタントの養成所で、更に今後の取り組みとしてやられていこうと考えていることでしたり、他にも展開されているものはありますか。山里様:育成策としては2つあり、1つ目は中間層をレベルアップさせていきたいので、次世代リーダー研修というものを実施しています。それは外部のプロ達の力を借りながら、社内の課題を自分たちで考えて、どう解決するかというのを、グループディスカッションなどで自分たちで見出していく、というものです。現在もその最中で、中には私に直接提案してくる研修もあります。この研修では、課題解決のために自発的にアンケートを作って全社員に送ったり、どうやったらアンケートの回答率が上がるのかと言ったことを悩みながら試行錯誤しています。日頃の業務ではそういう周囲に対して働きかける機会があまりないので、新しい視点という意味ではかなり勉強になっていると思っています。————この研修を導入しようと思ったきっかけや出来事みたいなこともあったのでしょうか。山里様:危機感の方が大きかったかもしれません。人数規模からすると、約240人が在籍しているのですが、次世代のリーダーがいるかと言われるとあまりいないと感じていました。部門長会と呼ばれる各部門のトップたちが出席する会議があるのですが、私の代表就任当時は部門長だけで10人ぐらいいるにも関わらず発言が少なく、「なぜこの人が部門長なんだろうな」と不思議に思う人が多かったというのが当時の印象でした。また、その時点の制度ではキャリアパスがマネジメントしかなかったので、マネジメントができていなくても現場エンジニアとして優れていたりお客様の評価が高いからとマネージャーに昇格してしまう状態でした。逆に言うと、キャリアを上げないと給与も上げられないから、仕方なく部門長になってしまっていました。しかし、部を率いて数字を残すような部門長の資質と現場エンジニアの資質というのは必ずしも一致しないと思いますし、時には相反する部分もあります。なので、そこをもういっそのこと別のテーブルを作ろうと、スペシャリストランクと呼ばれる技術特化型のテーブルを作りました。この頃、ちょうどコンサルタント化の必要性を感じていたタイミングだったので、コンサルタントのテーブルも必要だという点も浮き彫りになりましたし、テーブルが出来上がると、部門長の役割も明確化し、適材適所で人が回るようになってきました。ただ、適材適所の配置をしたことで、部門長に残る人が減ってしまう結果にもなりました。そんな中、部門長候補を大抜擢したりして、今の形になってきたのですが、将来のことを考え始めると、この部門長たちに続く次世代がまだ育っていないことにも気づきました。これまで社内でマネジメントの観点で育成というものをしたことがなかったこともあり、ここは思い切ってやるべきだなと決心し、現在に至ります。マネジメントが落ち着いてくると、今度は技術が蓄積されてきて、技術方面に尖っている人たち向けの評価の部分と、本当に組織を預かる側の人たちと切り分け、さらにここのボトムを強化していくことが必要になってくると思っています。マネジメントも積極的にキャリアパスとして考えてほしいのですが、エンジニアからマネージャーとなると売上数字の管理や企業利益も考えなければならなくなり、仕事観のギャップみたいなものが生まれてしまう可能性もあります。それでも、人の価値を最大限に引き出して、組織を大きくすることに対して、モチベーションを持つことで、必ず見返りもありますし、本人の利益も当然含まれることも気付きとして研修で得ていける感じがしています。————もう一つの取り組みはどんなことをされているのでしょうか。山里様:3年前から新卒採用をかなり重要視してきました。以前は少ない人数を新卒採用後期の方で獲得する流れだったのですが、正直魅力的な学生というのは前期に多いのだなと感じる場面は多かったです。ミスマッチも多く、過去は離職率も高かったそうです。見込んでいたほど人もあまり育っておらず、これはどうにかしないといけないと思っていました。3年前から新卒採用に関しては、かなり力を入れて採りたい人にこだわって面談して、10人ほどを確保し続けてきました。そういったメンバーの育成を「ブラザーシスター制度」として先輩が責任もって育てたり、社内の受託開発の中で育てたりなど、試行錯誤しながら制度として進めています。————中途で経験者の方を採用してくる方があまり工数はかからない印象もあるのですが、新卒採用に力を入れられた理由やきっかけはありますか。山里様:おっしゃる通りで、経験のある中途を入れるほうが圧倒的に楽ではあります。一方で新卒の良さもたくさんありまして、まっさらな状態から育てられることでしっかり学んで吸収してくれることもそうですし、大化けする可能性や野心も垣間見えるので教える価値は十分にあるとも考えています。人事担当者の言い方を借りるなら、「新卒というのは企業の幹である」と思っています。次世代という点で、確かに幹の考え方は大切だと思います。また、中途採用はものすごい激戦過ぎまして(笑)今どちらかに力を入れるのであれば、間違いなく新卒で、新卒たちもしっかり成長してくれています。新卒を採用する中で、働き方が多様になってきてるっていうのも直近で大きく感じています。今年の採用でもそういった変化を感じることがあり、面接した人の中には「当社ともう1社で迷っています」と素直に言っていただくことがありました。後で聞いた話ですが、大手上場グローバル企業のIT部門と当社で迷っていたそうです。すごい光栄な話なんですけど、でも迷う気持ちもわからなくはなかったですね。一見すると全く指向性が違う企業同士で、裁量も異なれば働く環境も違う、それでも迷いが発生する、決断の難しい時代なんだと感じました。事業会社のIT部門と当社のようなIT専門会社とではやることが異なりますから、キャリアパスも当然変わってきますよね。そういう意味で多様な選択肢があって、面白いなと感じました。理念・価値観について————新卒の方々にこう育ってほしいという想いの中には、会社の理念とか文化に繋がるものもあると思っているのですが、貴社の中で重要視している価値観や考え方というのはどういうものがあるのでしょうか。山里様:残念ながらパーパス経営というような事はやっておらず、今の時代で大切な物はなにかと考えました。その時に真っ先にできたのは、理念ではなくビジョンでした。理念を本当にいいものを作ろうと思っているからこそ、時間の制約もある中で、何から始めるか選ばなければいけない時に、私はビジョンから始めたんです。そして作ったビジョンが「VISION40(V40)」でした。特にその中でも一番重要視しているのは、5年後に社員の平均年収を40%アップするということです。みんなに夢を持って仕事をしてほしいですし、やった分だけ還元されるような会社だということを理解をしてもらえるようにしたいと思っています。この「V40」に当てはまるかどうかというのが、全ての思考の源です。事業年度の予算編成や事業計画など、全ては「V40」のためにあり、それを達成するために現在地と到達地との間を埋めるためにはどんな工夫が必要なのかということを逆算でやっていくという方針です。今一番言い続けているのは「逆算」ということです。逆算するにはやっぱり一人一人のマインドの変化が必要で、ここでも提案型が重要になってきます。受け身だと積み上げ型になってしまうので、逆算とは異なってきますね。そのため、逆算してという話を常にし続け、その過程で理念みたいなのも自然的に湧いてきています。ちょうどこの間も全社員にアナウンスする機会がありまして、改めて「本物のものづくりがしたい」というメッセージをしました。ありきたりの言葉過ぎて、誤解・誤認されることもあるのですが、事業会社さんと一緒になって本当に社会に意義のあるものを作りたい、それによって適正な報酬を受けるということが今一番私の中での理念で、全社員に考えてほしいことです。「私たちってやっぱりモノづくり企業だよね」と発信していきたいですね。コンサルタントはモノづくりじゃないと言う人もいますが、全てはシステム開発の工程の中に収まっているので、コンサルティングも含めて全部モノづくりだと思っています。プログラミングだけがモノづくりだと思っているのならそれは大間違いで、来年にはもうAIに壊されるかもしれない中で、狭く定義をしてしまっては意味がありません。事業会社と言っているのも当たり前に聞こえて、意外と当たり前じゃない部分があります。IT業界のSES(準委任契約)の中はゼネコン構造のようになっている面があり、これは課題だとも感じています。例えば国との案件を2次請けまでが上場会社で専有していて、下手したらフリーランスの方なんかも含めて、6次請けくらいまで連なることもあります。こういう構造の中だけの仕事では限界があるのも事実です。一方、事業会社さんなどお客さんと組んで仕事するところには新しい可能性があります。以前だったら中小企業では組めなかったような大手さんでも、DX推進室という新しい部門ができ、新たに取り組みたい企業をフラットに探しています。そういった際に、私たちが2次請け、3次請けくらいで中核を担った実績から信頼をいただくことも増え、この3年間だけでも15社ぐらいは事業会社さんと直接の仕事が増えました。————何のためにやっていて、目的がどこなのか矢印がどこを向いていて、開発のプロジェクトが存在するのかみたいなことも大切ですよね。山里様:そういう意味では、スタートアップやベンチャーも含めて、先ほどお話にあった社会に求められるものがあったり、人の生活に意義のあるものを作ろうという方々が発信する機会がすごく増えたなと感じます。この実現、実装に向けて、もう既に手を取り合ってやれる、やり始めているということ自体にちょっとワクワクできる点もありますね。私たちも、年間150社くらいピッチを受けてその中で1社くらいですが、延べスタートアップ企業に4社出資させていただいています。これも社会に結構インパクトがあると思います。私たちが出資している企業以外でもスタートアップでは、出資してもらった資金を使って内製化を目指していかなければいけないのですが、すぐにできない部分もありますよね。とはいえ、費用を抑えたいというときに私達は中堅ですから、検討するには費用が高いこともあります。その事は理解しており、私たちは最後の完成形までイメージして支援をしていきますが、中には中途半端な状態で撤退してしまうエンジニア企業もあるようです。なので、最初は検討していなかったけど、後々私たちに開発をご依頼いただくようなケースもあります。また、私達がスタートアップさんと手を組むことで、「実は40年社歴があって、金融系を主にやっている会社と事業を推進しています」という具合にスタートアップさんも投資家さんに対して説明ができます。となると、投資家さんも実際にこのスタートアップ企業は本気だ、実現できるというイメージをしっかり持っていただきやすくなるわけですね。そういった側面も考えると私たちらしい新しい価値もあるなと想いますね。歴史について————エンジニアにとどまらない様々な事例がすごく魅力的ですね。実際に今、こういう取り組みができるようになってくるまでの歴史の変遷も教えて下さい。山里様:私が入社したのが2018年11月、社長に就任したのは2020年11月なのですが、その間別の方が社長に就任されていました。しかし、私の入社とほぼ同時期に病気療養に入られて、実際には経営に関してディスカッションする機会がありませんでした。そのため、私はほとんど何の影響も受けていません。入社当時はみんな萎縮しているように感じ、会社の雰囲気が良くないという印象がありました。本社は常にどんよりした空気が漂っており、社員も帰社することが少なく、それを表すように事業計画も年微増という状態で、結果が悪いと先の計画も下方修正されてしまう状況でした。リカバリーする計画ではなくて、目標が下方修正されていくような状態なので、成長への危機感を感じましたね。他にも在籍社員数が200人と言われていたにも関わらず、数えてみると169人しかいないということもありました。時間をかけて減っていってるという怖さも感じましたし、話を聞くとできる人が辞めていたようで、「あの人が辞めたのは痛かった」という話ばかり耳にしましたね。予算についても同様で、必要なものを必要なときに申告できないような状況で、決まったルールの中でしか動けない状況でした。ある時、私のPCが頻繁にフリーズするので買い替えは難しくてもせめてメモリを増設したいと申請したのですが、たった5000円が計画予算外だという理由で否認されてしまいました。(笑)社長に全ての決裁権が集まっていたから誰も何もできないという状況でした。なので、今までの方針を一度白紙に戻してからやろうと思いました。特に印象深かった最初の出来事は、代表就任直前の東京オフィスの移転ですね。このコスト構造っていうのを逆転させたくて、先行投資するという決定を行いました。その代わり売り上げで絶対回収する、回収できなかったら単年で赤字になるという大きなリスクを背負いました。その追い込まれた状況で、他の役員や部長のパフォーマンスを一気に変えるしかないと思いました。実際には、東京オフィス移転はとても怖かったですし不安でしたが、当時の東京事業部の事業もあまりうまくいっていない状況でした。オフィスも決していい環境ではなかったので、これから人材難の時代がすぐ来るというタイミングで、オフィス環境が悪いことは懸念としてありました。こういった状況もあったため、思い切って移転しようと決心するに至りましたね。その際に、今の専務で東京事業部長も本来はいろんな斬新なことをしたかったという想いを持っていたことをこの時に教えてもらいました。そしてオフィス移転についても主導してもらいましたね。オフィスの移転があったのが2020年3月23日と、ちょうどコロナウイルスが蔓延し始めた時期でした。そんな状況だったので、僕と専務と事務の3人だけで移転作業をしました。引っ越しが全て終わってからお疲れ様会をしたのですが、めでたい気持ちと不安な気持ちと両方がありましたね。大きなきっかけを作ってから私の中で「V40」をちょうど5年後、ITのターニングポイントでもある2025年の40周年を狙って打ち立てました。その中であえて売上を目標にはしなかったんです。というのも、売上40億程度を目標にすると逆にそれに縛られてしまうと思ったからです。価値があるのはそこじゃないと思ったので。だからV40の構想を最初に経営会議の場で提案したときは、周りに驚かれたと思います。ただ、当時大阪の役員だった人が、「これはいけますね」と言い出してくれました。最初に口火を切ってくれ、その後も大阪の本社機能を所掌する女性役員が「今の時代これくらいやらないと。目指さないともう通用しないですよね」と言ってくれました。また、専務も電卓を叩き続けて、最終的には「これは何とかいけますよ」と言ってくれました。他の役員も後日できる道筋を考えて提案してくれました。この始まりの瞬間は思い出深かったですね。それから組織編成も変えていきましたし、この3年間で仕事にコミットできている感覚がある人たちはしっかり残ってくれていますし、エンジニアも離職率が限りなく低いので、ようやく基盤が整ってきたと思いますね。————仕事の意味をそれぞれの社員の方々が見出しているように感じました。制度の部分を始め、会社の文化などにもエンジニアの方々が働きやすさを感じられるポイントがあるのかなと思いますね。山里様:もともと長くいる社員たちは、社員同士の仲が非常良いです。その昔は社内のクラブ制度みたいなのが充実していたり、リーマンショック以前は社員旅行なども色々やっていて、社員同士が家族以上に仲いいみたいな状況だったそうです。横の繋がりは出来上がっていたのに、経営層とのエンゲージメントは横の繋がりは出来上がっていたのに、経営層とのエンゲージメントは低い状態でした。この会社の社員数を何とか169人で留まらせていたのはこれが要因なんだと思いましたね。今もその仲は継続した状態で、僕の方針も発信していくことで、全体の統制がとれ、離職率を抑えることにも繋がっていると感じています。社員の皆様について————社員の方々についても触れていただきましたが、変革の中で期待以上に活躍してくれたなという社員の方についてもお伺いしたいです。山里様:本人の前で言うのもあれですけど、まさに堀切の入社は私の中で大きなターニングポイントだったかもしれません。彼は前職よりも年収がダウンするにも関わらず、当社に入社する決意をしてくれました。お互いにチャレンジングな採用だったと思います。堀切はエンジニアとしての経験はないものの、システムを顧客側で受け入れる仕事の経験はありました。最初は現場管理の仕事を任せましたが、なかなか軌道に乗せることができない状態でした。しかし、私の周囲で相談をもらっていた新しいIoTやAIツールを活用したサービスの新規事業についての開発の話を堀切に相談したところ、今までの知見を踏まえてわずか2日後に実現の道筋を出してきました。これは異常なスピードでしたし、できるかどうかもわからないというものを形にしてくれました。しかも提案書もすぐ持ってきてくれて、私から見てもすごい出来でしたね。わかりやすく、グラフィカルでしたし、内容もすごい筋が通ってて。それをお客さんに提案してみたら「もう完璧ですね」と言われたんです。新しい私達の業態が生まれた瞬間だったと思います。堀切様:ちょうどその頃ですよね。私以外にもやっぱりコンサル向けの人たちが途中から入ってきたり、流れが変わっていく時期でした。それまで開発会社として動いていた部分が、それ以外の事業として、お客様がやりたいものに対して一緒にできる支援というか、併走できるメンバーが増えてきていました。そして、少しずつ会社がどうなっていくのか形が見えてきて、それが続いてコンサル集団が一つの事業推進部という形になりました。そのおかげで、PMOなどのプロジェクト推進力を持つ人材が増えてきたというところもあったのかなと思います。私が入社した時期はちょうど社長の変革が始まったタイミングだったので、東京オフィスが移転してなかったら入社していなかったかもしれません(笑)未来のビジョンについて————最後に、今後取り組んでいきたいことや注力したいことがあればお伺いしたいです。山里様:先ほどお話しした理念の通りですが、事業会社さんと組む中で、社会の多くの人たちが利便性を感じてくれたりするような仕組みを作りたいと思っています。自分たちで考えてやるというよりも、やっぱりそれ専門にやっておられる事業会社さんと組んで、仕組みを作りたいと強く思いますね。また、少し反するのですが、自分たちが事業オーナーとなって何かを作りたいということもあります。例えば、1次産業でもITの力でもっと効率化したり、業界を変革できるような要素があるんじゃないのかなと感じてます。せっかくITという力を持っているからこそ、今後よりレバレッジを効かせ、世の中の役に立つにはどういう仕組みがいいのかは常に考えてますね。現状のゼネコン型構造から脱却を目指して、私達が少しでも変えていく事例を作り、IT業界での変化にもつなげていきたいと思います。