カイシャの育成論
——まず、御社の置かれた環境について教えてください。
弊社の本社工場がある福島県南会津郡只見町は、人口が3,500人ほどしかない小さな町です。
面積は東京23区よりも大きいですが、95%が森林で、残り5%のわずかな平地に人間が住んでいるような状況です。
信号機は1つしかないし、町の中にコンビニもありません。
私の家からコンビニまで60キロもあります。
そういった典型的な過疎の町で160名の社員を抱えて自動車関連部品を生産していますので、人材の確保と育成は非常に大きなテーマになります。
まさに育成論というか、人材をどう確保するかというところが重要な課題です。
——そうした環境で、どのような人材育成に取り組まれているのでしょうか。
特別な制度というほどのものはありませんが、まずは人数を確保しなければいけません。
そのために現在重点的に取り組んでいる2つの柱があります。
1つ目は定年後再雇用の充実です。
弊社は60歳定年ですが、定年後も本人が辞めたいと思うまで、いつまででも働いていただけるようにしています。
しかも給与は下げません。
ボーナスも通常通り、昇給もします。
同じ内容で、自分が辞めると言うまで働いていくことができる環境です。
——それは一般的な企業とは異なる制度ですね。
なぜそのような方針にされたのですか。
これは10年ほど前に制度を変更したのですが、よくよく考えてみると、今はどちらかというと能力を重視した給与制度に変わっています。
60歳になったからといって、いきなり能力が落ちるわけではないじゃないですか。
60歳までの給料というのは、その人が自分で勝ち取った給料なわけです。
それが年齢を過ぎただけで、能力は1ミリも落ちていないのに給料が下がるというのは、能力重視という観点から非常におかしな話だということで変えました。
10年前にこの制度がスタートしてからは、私の記憶の中では1人を除いて全員が定年後も継続して働いています。
現在は65歳以降の人たちも元気で働いてもらっています。
一番年上の方で70歳になる方もいますね。
——もう1つの柱について教えてください。
2つ目は、インドネシアからの技能実習生の受け入れです。
第1期生が2018年に当社に来てからスタートしました。
現在、大体30人ぐらいの実習生が働いています。
実は私がインドネシアまで面接に行って、弊社を希望する人たちの面談をして採用しました。
一人一人面談すると、やっぱり非常に志が高いというか、一生懸命なんですよね。
彼らは日本に来て3年なり5年なりしっかりお金を貯めて、それを持って国に帰って自分で事業を起こすとか、お父さん、お母さんに家を建ててあげたいとか。
日本の若者でもなかなか考えないような、すごい夢というか目標を持って来る人たちが非常に多くて、感銘を受けました。
——待遇面で工夫されていることはありますか?
それだけの思いを持って日本に来て、うちの会社に来てくれるわけだから、やっぱり扱いをないがしろにはできないだろうと。
廃業した旅館を一軒全部買い取って、そこに個別の部屋を作りました。
全員が個室で生活できる生活空間を作って、寮母さんを置いて食事の世話をするという体制を作りました。
仕事についても、残業は1分たりともごまかさないで、ちゃんと残業代を支払いますし、ボーナスも払います。
何かにつけ、彼らには「来てくれてありがとう」という言葉を、「あなたたちがいるからこの会社は成り立ってるんだよ」みたいな話をしてあげると、やっぱり彼らも自分がその会社で役に立ってるという自覚があれば、一生懸命やってくれるじゃないですか。

会社の理念や考え方
——御社の経営理念について教えてください。
弊社には3つの理念があります。
まずは「自分たちの技術を磨いて社会に貢献しなさい」ということ。
次に「生まれ育ったこの地元の只見町、会津の発展に寄与しなさい」ということ。
そして「全社員の家庭の幸せと幸福を目指しなさい」という3つです。
——地域への思いについて聞かせてください。
私自身が只見町の生まれ育ちなので、生まれ育ったところを大切にしたいという気持ちが非常にあります。
株式会社会津工場という社名なので、会津の発展に寄与したい。
何かの縁があって、あそこに私が生まれ落ちたわけですから、やっぱりそこを大切にしたいなという気持ちがあって。
だから生産拠点をしっかりここに持ちながら、町のいろんなイベント、お祭りであったり、地元の学校への寄付とか、そういった活動をしたり、いろんなお祭りの時に参加をしたり寄付をしながら、町の発展に貢献するということもやっています。

会社の歴史
——改めて会社の成り立ちについて詳しく教えてください。
弊社は今年で48期目を迎えます。
今から25年ぐらい前、2000年ぐらいまでは、実は千葉にある会社の子会社のような形でスタートしていました。
2000年頃までは100%その仕事を千葉の会社からもらっていたんです。
営業という部署もないし、社長も千葉のオーナーが会津の社長も兼ねていて、結局口を開けて待ってると餌がもらえるみたいな感じでした。
従業員30人ぐらい、年商3、4億ぐらいで2000年頃までずっと続いていました。
——転機はどのようなことだったのでしょうか。
時代が変わって、バブルが弾けたりという中で、千葉の会社も非常に景気が悪い状況になって、子会社の私たちに仕事を出す余裕がなくなってきました。
せっかく20年続いてきた会社が、小さいところでもなくなっちゃうのは辛いよねということで、じゃあもう千葉の会社に頼らずに自分たちで仕事を探して、自分たちで生き残っていこうということで、自分たちの営業活動をやったり、技術の開発も自分たちで新しい技術開発をしようと思って立ち上げました。
——その後の成長は目覚ましいものがありますね。
2010年には売上10億を超え、2020年には20億を超えて、去年の決算で36億でした。
20年間で売上が約10倍になった計算です。
売上が伸びれば当然人も必要になります。
2017、18年頃に、いよいよ仕事があっても人が足りないという状況に直面しました。
社員110人ぐらいまでは地元のメンバーを集めて、遊んでいるならこっちにおいでよという感じでなんとかしてたんですが、いよいよこれ以上無理だという話になって、技能実習生の受け入れを始めたのがきっかけです。

活躍する社員について
——技能実習生の日本人社員への影響はいかがですか。
これも最初は意図していなかったのですが、彼らはどんなに優秀でも3年から5年で帰っちゃうわけです。
だから本当にレベルの高い技術を教えられないんですね。
でも結局、そのある程度のレベルの仕事までは実習生が全部やってくれるので、5、6年経った日本人スタッフは、その上の仕事を目指さざるを得なくなっちゃうんです。
必然的にレベルの高い仕事にチャレンジせざるを得ないということになってきて、結果的にその日本人スタッフの技術レベル、スキルの向上にもつながっています。
——教える立場の社員にはどのような効果がありますか。
日本人スタッフで現場で実習生に教えるメンバーは、今度、全くの素人にちゃんと手取り足取り教えてあげなければいけないので、仕事の基本中の基本を教えなきゃいけない。
自分が教わったものを、またちゃんと噛み砕いて相手に教えるので、自分自身の知識というか技術の向上にもつながっています。
人に教えるって、自分でよくわかってないと教えられないじゃないですか。

——職場の雰囲気にも変化があったのでは。
現場にいるお母さん連中、40、50、あと60で定年を超えたおばちゃんもいますけど、その人たちにとってみると、実習生は自分の息子みたいなイメージなわけです。
日本語も正しくなくて、やっと日本に来て頑張ってるところを見ると、母性本能をくすぐられるのかな。
すごく面倒見がいいんですよ。
そういったところで、非常にコミュニケーションもうまく取れて仲良くなるし、社内の雰囲気も、彼らがいるせいなのかわからないですが、非常にお互いに協力し合いながらすごくいい雰囲気になりますね。

会社の事業について
——現在の主力事業について教えてください。
主に自動車関連部品を生産しています。
弊社は鋳造業で、現在はトヨタ、日産、ホンダ、いすゞ、最近だとスバルといったメーカーの技術開発の方々と次世代の車の開発に取り組んでいます。
まだ開発段階ですが、弊社の技術がどう活かせるのかというところを、各メーカーの技術者の方々と一緒に取り組んでやっています。
これが実を結べば量産になって新しい仕事をいただけるということで、そういう技術を開発して世の中のためになる、イコールそれを会津の発展に寄与したいという気持ちでやっています。

未来への取り組み、今後やりたいこと
——今後の展開について教えてください。
今実現のための確かな道筋まではできてないのですが、インドネシアに会津工場のインドネシア工場を作りたいと思ってるんです。
というのも、インドネシアの実習生は3年5年仕事をやって、こっちで実習研修をして国に帰るわけですが、帰ると全く新しい仕事を自分たちで探さなければいけないわけです。
それはもったいないじゃないですか。
だから実習して国に帰ったら、インドネシアでも会津工場と同じ仕事ができる環境を作ると。
彼らが希望すれば、そこで正社員として、それも下手すると幹部社員として、そこで仕事ができるような環境を作ってあげると、実習生にとってもいいじゃないですか。
——経営体制についてはいかがですか。
私は現在64歳ですが、これから先大きな投資をしようとすると、投資をするのはいいんだけど、それを返済償却して返済するには、もう私の力じゃなくて、次の世代の力が必要になってくる。
ということで、2年前に役員を変えたんです。
今までの役員に全員降りてもらって、30代から40代前半のメンバーを全員役員にしたんです。
これから先の投資、事業の投資とか経営計画は、やっぱり若いメンバーに立てさせて、若いメンバーが自分の力で自分の責任でやれる環境を作ろうと思ってやったんです。
——最後に、今後の展望をお聞かせください。
人材不足という課題を逆手に取って、多様性のある組織づくりを進めてきました。
定年後社員の活用とインドネシア実習生の受け入れという2つの柱で、会社全体に良い影響が生まれています。
地域の過疎化が進む中で、私たちのような地方の製造業が生き残っていくためには、従来の枠組みにとらわれない発想が必要です。
人を大切にする、誠意を持って接するという当たり前のことを徹底することで、結果的に優秀な人材が集まり、技術力も向上し、地域にも貢献できる。
そんな好循環を作ることができました。
今後は海外展開も視野に入れながら、技術で社会に貢献し、地域の発展に寄与し、全社員の幸福を実現していきたいと思います。
そのバトンを次の世代にしっかりと引き継いでいくことが、今の私の一番大切な役割だと考えています。
