なぜ今、SECIモデルが重要なのか
熟練者の頭のなかにある勘やコツ、長年の経験で培われた判断基準。こうした言葉にしづらい知恵は、その人が退職した瞬間に組織から消えてしまいます。厚生労働省の令和6年度「能力開発基本調査」(2025年公表)によると、能力開発や人材育成に関して何らかの問題があるとした事業所は79.9%にのぼり、その内容として最も多かったのは「指導する人材が不足している」で59.5%、次いで「人材を育成しても辞めてしまう」が54.7%、「人材育成を行う時間がない」が47.4%でした。教える人が足りず、育てても定着せず、時間も取れないという三重苦のなかで、いかに知恵を組織に残し、循環させるかが多くの企業の共通課題になっています。
この課題に理論的な道筋を示すのが、SECIモデルです。SECIモデルは、経営学者の野中郁次郎氏と竹内弘高氏が著書『知識創造企業』(英語版1995年、日本語版1996年)で提示した知識創造の枠組みで、個人が持つ暗黙知を組織全体の形式知へと変換し、イノベーションへ高めていくプロセスを説明します。暗黙知とは、経験や勘のように言語化しにくい主観的な知のことで、形式知とは、マニュアルや数式のように言葉や図で表現できる客観的な知を指します。SECIモデルは、この2種類の知が相互に変換されながら組織のなかを螺旋状に広がっていくと考え、そのプロセスを4つの局面に整理しました。属人的な経験を、誰もが活用できる組織の資産に変えるための、実践的な設計図といえます。
SECIモデルを構成する4つの知識変換モード
SECIモデルの名称は、知識変換の4つのモードの頭文字を並べたものです。それぞれがどのような変換を指すのかを押さえておくと、後の実践ステップの理解が深まります。
共同化(Socialization):暗黙知から暗黙知へ
共同化は、経験を共有することで暗黙知を暗黙知のまま受け渡す局面です。熟練者の作業を隣で見て体で覚える、顧客と同じ場に身を置いて感覚をつかむといった、言葉を介さない学びがこれにあたります。従来のOJTや師弟関係による技能継承は、多くがこの共同化に相当します。言語化を経ないため深いレベルの知が伝わる一方で、対象範囲が狭く時間もかかるため、次の表出化へつなげる意識が欠かせません。
表出化(Externalization):暗黙知から形式知へ
表出化は、暗黙知を言葉や図、比喩などを用いて形式知へと変換する局面です。ベテランがなぜその判断をしたのかを対話のなかで言語化する、勘所を手順書やチェックリストに落とし込むといった営みがこれにあたります。SECIモデルのなかでも最も難しく、同時に最も価値が高いのがこの表出化です。個人の頭のなかに閉じていた知恵が、初めて他者と共有可能な形になる瞬間だからです。
連結化(Combination):形式知から形式知へ
連結化は、既存の形式知どうしを組み合わせ、より体系的な新しい形式知を生み出す局面です。各部署の手順書を統合して全社標準のマニュアルをつくる、複数のデータを掛け合わせて分析レポートにまとめるといった作業がこれにあたります。文書やデータベース、社内ポータルなどの仕組みが力を発揮する領域であり、生成AIやナレッジ共有ツールとも相性の良い局面です。
内面化(Internalization):形式知から暗黙知へ
内面化は、体系化された形式知を実践を通じて自分の暗黙知として身につける局面です。マニュアルを読んで実際に手を動かし、繰り返すうちに考えなくてもできるようになる過程がこれにあたります。内面化によって個人に蓄えられた新たな暗黙知は、次の共同化の起点となり、SECIモデルはひとつの円環ではなく、らせん状に知が高まり続ける「知識創造スパイラル」を描きます。
SECIモデルがうまく回らない3つの要因
4つのモードを知っていても、現場でスパイラルが回り出すとは限りません。多くの組織でつまずきが起きる典型的な要因を3つ挙げます。
要因1:暗黙知を言語化する場と時間がない
SECIモデルの起点は、経験を共有し言語化する対話の時間です。しかし前述の能力開発基本調査でも「人材育成を行う時間がない」が課題の上位に挙がっているとおり、日々の業務に追われるなかでベテランと若手がじっくり向き合う機会は失われがちです。表出化のための対話が確保されないと、暗黙知は共同化の狭い範囲にとどまり、組織全体には広がっていきません。
要因2:知を共有せず抱え込む文化がある
知恵を出し合う土壌がなければ、変換は始まりません。パーソル総合研究所の「学び合う組織に関する定量調査」(2024年2月発表、全国の正規雇用就業者6,000人が対象)によると、学習している人のうち56.2%が自身の学びの状況や内容を同僚に共有しておらず、職場で可視化されている学びは全体の19.7%にとどまります。共有しない背景には、話しても周囲は関心を示さないだろうという予期や、転職や異動を考えていると受け取られることへの懸念があると報告されています。自分が学んだ内容ですらこれほど共有されにくいのですから、業務の勘所となればなおさらです。心理的な安全性と、共有した人が正しく評価される仕組みがなければ、暗黙知は個人に囲い込まれたままになります。
要因3:形式知にした後、使われず放置される
手順書やマニュアルを整備しても、更新されず参照もされなければ、連結化と内面化は進みません。文書化そのものが目的になり、実践で使われないまま形骸化するケースは少なくありません。形式知は現場で使われ、実践を通じて内面化され、また新たな気づきとして表出化されて初めて価値を生みます。作って終わりにしない循環の設計が欠かせません。
SECIモデルを実践する5つのステップ
ここからは、SECIモデルを自社の技能継承やナレッジ共有に活かすための具体的な進め方を5つのステップで解説します。各ステップに現場で使える実施チェックを添えますので、自組織の状況に照らして確認してください。
ステップ1:残すべき暗黙知を見極める
はじめに、組織のなかでどの知恵が失われると困るのかを洗い出します。特定のベテランしかできない業務、退職予定者が持つ判断基準、トラブル対応のノウハウなどを棚卸しし、優先順位をつけます。すべてを一度に形式知化するのは現実的ではないため、事業への影響が大きく、かつ属人化している領域から着手することが重要です。この見極めが、その後の取り組みの費用対効果を大きく左右します。
- 実施チェック:担当者が一人しかいない業務や、その人が休むと止まる業務をリスト化しましたか。
- 実施チェック:影響度と属人度の2軸で優先順位をつけ、最初に取り組む対象を1つか2つに絞りましたか。
ステップ2:共同化の機会を意図的につくる
次に、暗黙知を持つ人と受け継ぐ人が経験を共有する場を設計します。同行訪問、ペア作業、現場見学など、言葉にする前にまず一緒に体験する機会を業務のなかに組み込みます。ここでの狙いは、若手が熟練者の観察眼や間合いを肌で感じ取ることです。偶発的なOJT任せにせず、誰と誰が、いつ、どの業務で共同化するのかを計画として明示することが、限られた時間を活かす鍵になります。
- 実施チェック:ベテランと若手がペアで動く時間を、週次や月次のスケジュールに組み込みましたか。
- 実施チェック:共同化の場で若手が気づいたことを後で言語化できるよう、メモや振り返りの時間を用意しましたか。
ステップ3:対話を通じて暗黙知を言語化する(表出化)
共同化で得た感覚を、対話によって言葉に変換します。ここがSECIモデルの中核です。「なぜそう判断したのか」「どこを見て良し悪しを決めているのか」を問いかけ、熟練者本人も無自覚だった勘所を引き出します。一人で書かせるのではなく、聞き手が問いを重ねながら一緒に言語化していく形が効果的です。比喩や具体例を歓迎し、完璧な文章を求めすぎないことが、表出化を前に進めるコツです。
- 実施チェック:熟練者に「なぜ」「どうやって見分けるか」を問いかける聞き手役を配置しましたか。
- 実施チェック:引き出した勘所を、手順書やチェックリストなど再利用できる形にまとめましたか。
ステップ4:形式知を体系化し共有する(連結化)
個々に言語化された知を集め、組み合わせて体系立った形式知に整えます。散在する手順書を全社標準に統合する、関連する事例を一覧化するといった作業です。あわせて、必要な人が必要なときにアクセスできる保管場所を決めます。社内ポータルや共有ドライブ、ナレッジ共有ツールなどを用い、検索性と更新のしやすさを重視します。誰が更新責任を持つのかを明確にしておくと、放置による形骸化を防げます。
- 実施チェック:関連する形式知を集約し、重複や矛盾を整理して1つの体系にまとめましたか。
- 実施チェック:保管場所と更新担当者を決め、いつ見直すかの周期を設定しましたか。
ステップ5:実践で使い、内面化して次のスパイラルへ
最後に、体系化した形式知を現場で実際に使ってもらい、実践を通じて各自の暗黙知として定着させます。新人研修やOJTの教材として活用し、使ってみて分かりにくい点や現場と合わない点があれば、その気づきを次の表出化の材料として拾い上げます。SECIモデルは一度で完結するものではなく、この内面化から再び共同化へと循環させ、らせんを一段ずつ引き上げていくことで、組織の知識創造力そのものが高まっていきます。
- 実施チェック:作成した形式知を研修やOJTの教材として実際に使う場面を設けましたか。
- 実施チェック:使ってみて出た改善点を回収し、次回の見直しに反映する仕組みをつくりましたか。
実践を支える「場(Ba)」という視点
SECIモデルを語るうえで欠かせないのが「場(Ba)」の概念です。野中氏らは、知識創造には人々が相互に作用し合い、新たな意味が生まれる文脈としての場が必要だと述べています。場は物理的な会議室に限らず、対話が交わされる関係性や、オンライン上の共有空間なども含みます。4つの変換モードには、それぞれふさわしい場があります。共同化には経験を共にする場、表出化には本音で語り合える対話の場、連結化には情報が集まる場、内面化には実践できる場が要ります。ステップを回す前に、自社にこうした場が存在するかを問い直すことが、スパイラルを動かす前提になります。
まとめ
SECIモデルは、共同化・表出化・連結化・内面化という4つの変換を通じて、個人の暗黙知を組織の形式知へと変え、さらに実践を通じて新たな暗黙知を生み出す知識創造のスパイラルです。教える人材が不足し、育てても定着しにくいという現状のなかで、属人的な知恵を組織の資産として残し循環させる考え方は、多くの企業にとって現実的な打ち手となります。
重要なのは、モデルを知識として理解するだけでなく、残すべき暗黙知の見極めから、共同化の機会づくり、対話による言語化、体系化と共有、そして実践による内面化までを、場の設計とともに一連の流れとして回し続けることです。まずは影響の大きい一つの領域から小さく始め、循環を体感することが、組織全体へ広げる第一歩になります。
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Editor’s Note
本記事は WONDERFUL GROWTH 編集部が、現場の人事・経営者の方々への取材と 自社支援データを元に作成しています。
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