なぜ今、社員の学習習慣が問われるのか
リスキリングや学び直しの重要性は、もはや誰もが認めるところです。それでも現場では、社員が自ら学ぶ姿はなかなか広がりません。その実態は、公的データにはっきりと表れています。総務省の令和3年「社会生活基本調査」(2022年公表)によると、10歳以上の人が学習・自己啓発・訓練(学業以外)に充てる時間は、週全体の1日平均でわずか13分でした。仕事や家事の合間に、日々ほんの少ししか学びの時間が取られていないのが現状です。厚生労働省の令和6年度「能力開発基本調査」(2025年公表)でも、業務外で自己啓発を実施した労働者は36.8パーセントにとどまり、7割近くが学んでいないことになります。
国際比較を見ると、日本の際立った特徴がさらに浮かび上がります。パーソル総合研究所の「グローバル就業実態・成長意識調査」(2022年)では、勤務先以外で自分の成長のための学習や自己啓発について「とくに何も行っていない」と答えた人が、日本では52.6パーセントに上り、調査対象の18ヵ国・地域のなかで最も高い割合でした。半数以上の社会人が、業務の外でまったく学んでいないのです。
人が学び続けられるかどうかは、意志の強さよりも、学びを日常に組み込む「習慣」と、それを支える「仕組み」に大きく左右されます。
ここで見落としてはならないのは、これが個人の意志の弱さだけの問題ではないという点です。本記事では、「学ばない大人」を変えるための、学習習慣づくりと学ぶ文化の育て方を解説します。
学習習慣を支える2つの理論
社員の学習習慣づくりを進める前に、人が習慣を身につける仕組みと、それにかかる時間について、代表的な知見を押さえておきましょう。この土台があると、施策の設計がぶれにくくなります。
習慣のループ:きっかけ・行動・報酬
作家のチャールズ・デュヒッグ氏は、著書『習慣の力』のなかで、習慣が「きっかけ」「ルーチン(行動)」「報酬」の3つの要素からなるループで動くと説明しました。何らかのきっかけが行動の引き金となり、その行動の後に報酬が得られると、脳はこのパターンを記憶し、やがて意識せずに繰り返すようになります。学習を習慣にするには、この3つを意図的に設計することが有効です。決まった時間や場面をきっかけにし、学ぶ行動のハードルを下げ、達成感や小さな承認という報酬を用意する。この一連の流れを整えることが、続く学びの出発点になります。
習慣化にかかる時間:平均66日
習慣が身につくまでの期間について、しばしば「21日」という説が語られますが、これには科学的な裏づけが乏しいことが分かっています。ロンドン大学のフィリッパ・ラリー氏らが2010年に欧州社会心理学会誌で発表した研究では、ある行動が自動的に行えるようになるまでに平均66日を要し、個人差が大きく18日から254日の幅があったと報告されています。つまり、学習習慣づくりには一定の時間がかかることを前提に、短期の成果を焦らず、続けやすい環境を粘り強く整えることが大切だと分かります。途中で一度実行できない日があっても習慣化の妨げにはなりにくい、という点も、この研究が示す心強い示唆です。
学習習慣が根づかない3つの要因
学びの必要性を訴えても習慣が根づかないのには、構造的な要因があります。個人の意欲を責める前に、次の3つを見直す必要があります。
要因1:学ぶ時間が確保されていない
学ばない最大の理由として、多くの調査で「時間がない」ことが挙げられます。厚生労働省の令和6年度「能力開発基本調査」(2025年公表)でも、能力開発に問題があるとした事業所の47.4パーセントが「人材育成を行う時間がない」ことを問題点に挙げました。業務に追われるなかで、学びは後回しにされがちです。学ぶ時間を個人の努力で捻出させるだけでは限界があり、就業時間の一部を学びに充てるなど、組織として時間を確保する仕組みがなければ、習慣は始まりようがありません。
要因2:心理的なハードルが高い
何から学べばよいか分からない、今さら学ぶのは気恥ずかしい、失敗したくないといった心理的なハードルも、学びの一歩を妨げます。とくに経験を積んだ社員ほど、学び直しに対して「新人のもの」という抵抗感を抱きやすい傾向があります。最初の行動が大きく重く感じられると、人はなかなか動き出せません。学ぶ内容や量のハードルを思い切り下げ、誰もが気軽に始められるようにする配慮が欠かせません。
要因3:学びが評価されず、続ける意味を感じにくい
学んでも誰にも気づかれず、仕事にも処遇にも結びつかなければ、続ける意味を見いだせません。習慣のループでいえば、行動に対する報酬が欠けている状態です。学んだことを発揮する場がない、努力が認められないといった環境では、一度始めた学びもやがて途絶えます。学びが正当に認められ、活かされる循環がなければ、学習習慣は組織に定着しないのです。
社員の学習習慣をつくる5つのステップ
ここからは、社員の学習習慣を組織として育てるための進め方を5つのステップで解説します。各ステップに現場で使える実施チェックを添えますので、自社の状況に照らして確認してください。
ステップ1:学ぶ時間を組織として確保する
はじめに、学びを個人の余暇に押し込めず、就業時間のなかに居場所をつくります。週に30分でも学習に充てる時間を業務として認める、会議を一つ減らして学びの時間に振り替えるなど、組織の側が時間を用意することが出発点です。時間がないという最大の障壁を取り除かない限り、習慣は始まりません。まずは無理のない小さな枠から確保し、続けられることを優先します。
- 実施チェック:就業時間のなかに、学習に充ててよい時間を明確に位置づけましたか。
- 実施チェック:確保する時間を、続けられる無理のない分量から始めましたか。
ステップ2:きっかけを日常業務に埋め込む
次に、習慣のループの起点となるきっかけを、既存の業務リズムに結びつけます。「毎週月曜の朝礼後に15分学ぶ」「定例会議の冒頭で学びを一つ共有する」など、すでに定着している行動に学びを紐づけると、新たに思い出す負担なく行動が引き出されます。決まった時間・決まった場面をきっかけにすることが、意志に頼らず学びを繰り返す仕掛けになります。
- 実施チェック:学びの行動を、既存の定例業務やスケジュールに紐づけましたか。
- 実施チェック:いつ・どの場面で学ぶかを、具体的な合図として決めましたか。
ステップ3:行動のハードルを徹底的に下げる
続けるためには、最初の一歩を軽くすることが決め手になります。学ぶ内容を一口サイズに分ける、一回5分から始められる教材を用意する、スマートフォンでも学べるようにするなど、始める際の手間と心理的な負担を可能な限り取り除きます。大きな目標を一度に課すのではなく、確実にできる小さな行動から始めることで、実行できたという成功体験が積み上がり、習慣化の土台になります。
- 実施チェック:学習の1回分を、無理なく取り組める小さな単位に分けましたか。
- 実施チェック:学び始めるまでの手間や準備を、できる限り減らしましたか。
ステップ4:小さな報酬と承認で続きを後押しする
行動の後に報酬を用意し、習慣のループを完成させます。ここでの報酬は高価な景品である必要はなく、進捗が見える、上司や仲間から一言認められる、学んだ成果を発表できるといった、達成感や承認そのものが有効です。人は認められると、その行動を続けたくなります。学んだことを気軽に共有し合える場を設け、努力を見逃さずに声をかけることが、次の学びへの意欲を静かに支えます。
- 実施チェック:学びの進捗や成果が、本人や周囲に見える形になっていますか。
- 実施チェック:学んだ努力に対して、上司や仲間が承認を伝える機会を設けましたか。
ステップ5:学び合う文化として広げ、定着させる
最後に、個人の習慣を、学び合う文化へと広げます。学んだことを共有する社内の勉強会や、互いの学びを応援し合う雰囲気づくり、そして経営層や管理職が自ら学ぶ姿を見せることが効果的です。習慣化には平均66日という時間がかかることをふまえ、短期で判断せず、続ける人を認め、学びを歓迎する空気を根気強く育てます。個人の学習習慣が周囲に伝播し、学ぶことが当たり前の風土になったとき、組織の学ぶ力は大きく底上げされます。
- 実施チェック:学んだことを共有し合える場や機会を、組織のなかに用意しましたか。
- 実施チェック:経営層や管理職が、自ら学ぶ姿勢を率先して示していますか。
リカレント・リスキリングとの接続
学習習慣づくりは、リカレント教育やリスキリングといった、より大きな学び直しの取り組みの土台になります。制度として学び直しの機会を用意しても、日常的に学ぶ習慣のない社員が、いきなり本格的なリスキリングに向かうのは容易ではありません。逆に、日々少しずつ学ぶ習慣が身についていれば、新しい分野への挑戦や、まとまった学び直しにも自然と踏み出しやすくなります。
つまり、学習習慣は、リスキリングを成功させるための助走路にあたります。まずは小さな学びを続けられる環境を整え、学ぶことへの心理的な抵抗をやわらげておくことが、その後の大きな学び直しの効果を高めます。制度の導入と並行して、日常の学習習慣を育てる取り組みを進めることで、社員一人ひとりの学ぶ力と、変化に適応する組織の力を、着実に伸ばしていくことができます。
まとめ
学習・自己啓発の時間が1日平均13分、業務外で「とくに何も学んでいない」人が半数を超えるという日本の現状は、個人の意欲だけの問題ではなく、学びを日常に組み込む習慣と仕組みの不足を映し出しています。人が学び続けられるかどうかは、意志の強さよりも、きっかけ・行動・報酬という習慣のループをどう設計し、支えるかにかかっています。
実践では、学ぶ時間を組織として確保し、きっかけを日常業務に埋め込み、行動のハードルを下げ、小さな報酬と承認で後押しし、学び合う文化として広げていくという流れを、時間をかけて回し続けることが重要です。習慣化には平均66日を要するという知見をふまえ、短期の成果を焦らず、続ける人を認める姿勢が欠かせません。日々の小さな学びの積み重ねが、やがてリスキリングの推進力となり、学ぶことが当たり前の組織文化を築く確かな一歩になります。
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Editor’s Note
本記事は WONDERFUL GROWTH 編集部が、現場の人事・経営者の方々への取材と 自社支援データを元に作成しています。
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