「職務記述書の範囲外の仕事を、すでに行っている」。Deloitteが世界93か国の従業員・管理職・経営層を対象に実施した「2025 Global Human Capital Trends」調査では、こう回答した働き手が71%にのぼりました。自分の職務記述書とまったく同じ仕事を、同じ職位の他の人もしていると答えた人はわずか24%にとどまります。「仕事はジョブという単位で構造化するのが最適だ」と考える経営層は19%、働き手でも23%しかいません。日本企業の多くが職務定義書に基づく「ジョブ型」人事制度への移行を進めているさなか、世界ではすでに、ジョブという枠組み自体が仕事の実態とずれ始めています。この矛盾を乗り越える次の一手として、米国を中心に注目されているのが「スキルベース組織」という人材マネジメント手法です。
スキルベース組織とは
スキルベース組織とは、仕事をタスク単位に細分化(モジュール化)し、職務(ジョブ)そのものではなく「スキル」を軸に、採用・配置・育成・評価を行っていく人材マネジメントの考え方です。1つのジョブを1人だけで完結させることが難しい場合、複数の人材でタスクを分担する発想に切り替え、必要なスキルを持つ人材同士を組み合わせることで、これまで埋もれていたスキルにも活躍の場が生まれます。
EY Japanピープル・コンサルティングリーダーの鵜澤慎一郎氏(書籍『スキルベース組織の教科書』日本能率協会マネジメントセンター、2025年4月刊、監修)が解説する同社の記事では、次のように要点が整理されています。
企業が悩む「人手不足と人手余り」という矛盾の本質は、人材の量ではなく人材の質のミスマッチにあります。ジョブではなく「スキル」という粒度の細かい質の観点でマッチングしなければ、最適な人員配置や人材活用ができない時代が到来しています。(出典:EY Japan「スキルベース組織とは」2025年7月10日)
スキルベース組織とジョブ型の違い
日本では長年、年功や終身雇用を前提とした職能型の人事制度が主流でした。近年は、ジェネラリスト育成を目的とした定期的な異動や年功重視の慣行から脱却し、職務定義書に基づくジョブ型人材マネジメントへの移行を進める企業が増えています。スキルベース組織は、この職能型人事への回帰ではありません。EY Japanは、海外で先行するスキルベース組織を「ジョブ(職務)とロール(役割)の定義に紐づいた詳細なスキル定義とその活用」と位置づけ、ジョブ型の延長線上にある考え方だと説明しています。つまりジョブ型の職務定義を土台としながら、そこに紐づくスキルの集積と活用まで踏み込むのが、スキルベース組織の特徴です。
なぜ今、スキルベース組織が注目されるのか
日本企業の多くは、特定の部署や職種では「人手不足」、別の部署や職種では「人手余り」という、一見矛盾した課題を同時に抱えています。EY Japanによれば、この矛盾の根本原因は人材の「量」ではなく、余剰のある部署・職種から不足している部署・職種へ人材を異動させられない「質」のミスマッチ、とりわけスキルの不適合にあります。世界経済フォーラム(WEF)も、2024年1月に公表したレポート「Putting Skills First」で、労働市場における人材の量と質の不均衡を課題として提起しました。
前述のDeloitteの調査結果が示すとおり、仕事の実態はすでにジョブという単位を超えて広がっています。職務記述書どおりの仕事だけをしている人材はむしろ少数派であり、人材マネジメントの物差しをジョブからスキルへと広げる必要性は、日本企業にとっても他人事ではありません。
スキルベース組織を進める5つの実践ステップ
スキルベース組織への移行は、人事制度全体を一度に刷新する取り組みではありません。EY Japanも、等級・評価・報酬まで踏み込むかどうかは、業界や職種、自社の運用の負荷を踏まえて判断すべきだと指摘しています。以下では、自社がどの範囲から着手すべきかを見極めながら進めるための5つのステップを紹介します。
ステップ1:仕事をタスク単位に分解する
最初のステップは、既存の「ジョブ」を、それを構成する個々の「タスク」に分解することです。1つのジョブを1人だけで完結させることが難しい場合、複数人でタスクを分担する発想に切り替えます。この分解作業は、スキルマッチングの土台になるだけでなく、AIやシステムに代替できる業務プロセスを見つけ出す、業務改善のきっかけにもなります。
実施チェック
- 主要な職種について、担当業務をタスク単位まで書き出したか
- タスクごとに、誰がどのスキルで対応しているかを洗い出したか
- AIやツールに代替できそうなタスクを識別したか
ステップ2:スキルの棚卸しと可視化を行う
次に、社内に存在するスキルを整理し、可視化します。EY Japanは、スキルを整理する枠組み(スキルタクソノミー)について、スキルを詳細に構造化する「ディクショナリー型」、AIがスキル情報を集積・提示する「私的タクソノミー型」、米国労働省のO*NETや世界経済フォーラムのGlobal Skills Taxonomyのような「公的タクソノミー型」の3類型を挙げています。自社ですべてを一から作り込む必要はなく、公開されている枠組みやスキルテック企業のデータベースを活用すれば、運用の負荷を抑えられます。
実施チェック
- 自社の主要職種に対応するスキル項目を洗い出したか
- 独自に作り込むか、公開されているタクソノミーやスキルテックを活用するかを決めたか
- スキル情報を更新し続ける運用体制(担当者・更新頻度)を決めたか
ステップ3:採用・社内公募でスキルマッチングを試験導入する
人事制度全体を変える前に、まずは採用や社内公募など、影響範囲を限定した場面でスキルベースの考え方を試すことをお勧めします。海外では、学歴や社格よりもスキルを重視した対話やケーススタディを採用選考に取り入れる「スキルベースハイヤリング」が広がっています。社内公募でも、部署名や役職ではなくスキル要件を明示することで、これまで見落とされていた人材の可能性を掘り起こせます。
実施チェック
- 求人票・社内公募の要件を、学歴や年齢ではなくスキル基準で書き直せているか
- 選考・選抜のプロセスに、スキルを確認する場面(実技やケーススタディなど)を組み込んだか
- 試験導入の対象部署・職種を限定し、効果を検証する計画があるか
ステップ4:リスキリングをスキルギャップに直結させる
スキルを可視化すると、社員一人ひとりが「持っているスキル」と、担当ジョブや今後のキャリアに「必要なスキル」との差分、いわゆるスキルギャップが明らかになります。このギャップを埋める学習機会を用意することが、スキルベース組織における人材育成の中心的な役割です。埋もれていたスキルを新しいジョブに接続できれば、本人のキャリアの選択肢も広がります。
実施チェック
- 個人のスキルギャップに基づいて学習メニューを推薦する仕組みがあるか
- リスキリングの成果を、実際の配置転換や新しい役割に反映する運用があるか
- 学び直しに取り組んだ社員を、評価やキャリアの面で正当に処遇しているか
ステップ5:評価・報酬への連動は自社の適用範囲を見極めて段階的に進める
スキルを等級・評価・報酬に連動させる取り組みは、スキルベース組織の中でも最も難易度の高い領域です。業界や職種によって適否が分かれるため(次の章で詳しく解説します)、まずはキャリア開発や人材配置の場面で活用し、成果を確認したうえで評価・報酬への連動を検討する順序が現実的です。
実施チェック
- 自社の業界・職種が、スキルベースの人事制度に適した特性を持つかを確認したか
- 評価・報酬に連動させる前に、配置や育成の場面での運用実績を積んだか
- 制度を変更する前に、対象となる社員への説明とコミュニケーションを計画しているか
スキルベース組織が向く業界・慎重な判断が必要な業界
EY Japanによれば、業界内転職を通じた人材の流動性が高く、業界標準のジョブ・スキル体系が一定程度存在するテクノロジー、金融、ライフサイエンス、プロフェッショナルファームといった業界では、スキルベースの活用が進みやすいとされています。一方、自動車や製造業、運輸、不動産開発など、個社の独自性が強い業界では、人事制度まで踏み込む価値があるかどうか、慎重な議論が必要だと指摘されています。
職種で見ても、保有スキルと発揮する成果が比例しやすいデジタル職はスキルベースの考え方になじみやすい一方、営業やマーケティングのように、実際に仕事を任せてみないと成果が見えにくい職種では、効果は限定的になりやすいと考えられます。
自社の業界や職種が、汎用的なスキル定義になじみにくいと感じる場合は、人事制度そのものに踏み込む前に、まずは採用や人材開発など、限定的な場面からスキルベースの考え方を取り入れることをお勧めします。
スキルベース組織がもたらすメリット
スキルベース組織への移行は、適所適材の実現やリスキリングへの動機付けにとどまりません。学歴・年齢・性別・国籍といった、社会に出た後は更新しにくい属性ではなく、努力によって何歳からでも習得できる「スキル」を判断の物差しにすることで、女性やシニア人材、障がいのある人材、外国籍人材など、これまで十分に活躍の機会を得られなかった人材の活性化にもつながります。少子高齢化によって人手不足が慢性的な課題となっている日本にとって、スキルベース組織への段階的な移行は、限られた人材を最大限に活かすための現実的な選択肢の一つといえるでしょう。
まとめ
スキルベース組織は、ジョブ型人事制度に取って代わる新しい制度ではなく、ジョブ型の延長線上でスキルの集積と活用まで踏み込む考え方です。仕事のタスク分解、スキルの可視化、採用・配置での試験導入、リスキリングとの接続、そして評価・報酬への段階的な連動という5つのステップを、自社の業界特性や運用の負荷に見合ったペースで進めることが、導入を成功させる鍵になります。
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Editor’s Note
本記事は WONDERFUL GROWTH 編集部が、現場の人事・経営者の方々への取材と 自社支援データを元に作成しています。
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