対象読者:人事部門のご担当者、経営層、人材開発に関わる管理職の方
読了目安:約12分
はじめに:リスキリングが「動いているのに進まない」という現実
「リスキリングに取り組み始めたが、実務での成果につながらない」「学習を始めた社員のうち、最後まで完走するのは一部だけ」――こうした声が、人事ご担当者や経営層から数多く寄せられています。
実際、データもこの実感を裏付けています。パーソルイノベーション「ミラエル」が2025年に実施した調査によれば、直近1年間にリスキリング施策を実施した企業は41.7%にとどまりました。さらに大企業では63.3%が実施している一方、中小・スタートアップ企業では33.4%と、規模間の格差が鮮明です。
そして、より重要なのは「実施した企業の中でも、過半数が何らかの失敗を経験している」という点です。同調査では、失敗例として「研修・学習内容が実務にマッチしていなかった」が45.6%で最多、「従業員任せになり、成果につながらなかった」が37.2%、「対象者が学習を完了できなかった」が35.1%と続きました。
厚生労働省「能力開発基本調査」(2023年度)でも、人材育成や能力開発に関して「何らかの問題がある」と回答した事業所は79.8%にのぼります。つまり、リスキリングが進まないのは個別企業の偶発的な失敗ではなく、設計と運用に共通する構造的な問題が背景にあるということです。
本稿では、この構造的原因を3つに整理したうえで、明日から人事部門が着手できる「成果が出る人材育成プログラム再設計の5ステップ」を、具体的なチェックポイントとともにご紹介します。
第1章 リスキリングが進まない3つの構造的原因
原因1:学習内容が「現場の実務」と切り離されている
最大の失敗要因として挙げられている「研修内容が実務にマッチしていない」(45.6%)は、研修担当者の関心が「何を教えるか」に向きすぎ、「現場で何ができるようになる必要があるか」から逆算する設計が抜けていることに起因します。汎用的なeラーニング教材を一斉配信する手法は、受講管理は容易でも、現場の業務フローや判断基準とは結びつきにくくなります。
結果として、社員は「研修で学んだ知識」と「自分の業務で問われる判断」が地続きにならず、学習が単発のイベントとして終わってしまいます。
原因2:学習が「業務の片隅」に追いやられ、時間が確保されていない
「従業員任せになり、成果につながらなかった」(37.2%)が示すのは、学習を業務時間として正式に位置づけていない構造です。OECD『Training in Enterprises』(2021)が指摘するとおり、企業内学習の効果は「学習時間が業務として保護されているか」に強く依存します。
しかし日本企業では、リスキリングを「自己啓発の延長」と扱い、繁忙期の前倒し業務や残業の合間で消化させるケースが少なくありません。これは学習者の意欲ではなく、組織側の優先順位設計の問題です。
原因3:「学んだスキルを試す場」が業務側に用意されていない
別の調査では「会得したスキル・知識を実践する場がなかった」が31.8%と上位に挙がっています。研修部門が育成プログラムを設計しても、現場の業務アサインや評価制度がその新しいスキルの活用を前提としていない場合、学習成果は数か月で減衰します。
行動科学の研究では、新しいスキルは習得後30〜60日以内に実務で繰り返し使われなければ、定着率が大きく下がることが知られています。「学んだ後にどこで使うのか」を設計時点で決めていないこと自体が、構造的な失敗要因なのです。
第2章 成果が出る人材育成プログラムを再設計する5ステップ
上記3つの構造的原因を解消するための、実務に直結する再設計プロセスを5つのステップに分けて解説します。
ステップ1:「2年後の事業課題」から逆算してスキル要件を定義する
はじめに行うべきは、研修テーマを決めることではなく、「2年後に自社の事業が直面する課題」を経営層と人事で言語化することです。たとえば「主力商材のサブスクリプション転換」「海外市場への進出」「生成AIを前提とした業務再構築」などです。
そのうえで、各課題に対して「どの職種の、誰が、どの判断を、どのレベルでできる必要があるか」を分解します。職種別・等級別の「期待される行動」を一覧化することで、研修テーマは初めて事業課題と接続されます。
実施チェック1:経営計画と人材育成計画が同じ会議体で議論されている
実施チェック2:スキル要件が「知識」ではなく「行動・判断」で定義されている
実施チェック3:ハイパフォーマー2〜3名へのインタビューで要件を裏取りしている
ステップ2:学習を「業務時間」として正式に位置づける
OECD調査が示すとおり、学習効果は確保された学習時間に比例します。具体的には、対象者ごとに月間の「学習可能時間」を就業規則・労務管理上で明文化し、上長との1on1で進捗を確認する運用を組み込みます。
ここで重要なのは、学習時間を確保するために、同時に「やめる業務」を明確化することです。学習だけ追加しても、現場は持ち時間の奪い合いになり、最終的に学習の優先順位が最下位に落ちます。
実施チェック1:対象者の月間学習時間が労務管理上、業務時間として記録されている
実施チェック2:学習時間の確保と引き換えに、削減・委譲する業務が同時に決まっている
実施チェック3:上長が学習進捗を1on1の正式議題として扱っている
ステップ3:「学んだ直後に試す業務」を設計時点で割り当てる
スキル定着の鍵は、研修後30〜60日以内に「学んだスキルを使わざるを得ない業務」が割り当てられているかにあります。これを実現するためには、人事部門と現場マネージャーが研修設計の初期段階から共同設計を行う必要があります。
具体的には、研修終了直後に着手する「実践プロジェクト」「業務改善テーマ」「他部門協働タスク」を、研修申込みの段階でセットで定義します。これにより学習者は「学ぶ目的」が明確になり、現場マネージャーは「育成成果を引き受ける当事者」になります。
実施チェック1:研修終了から60日以内の実践機会が、申込み時点で確定している
実施チェック2:実践機会には現場マネージャーがレビュー責任を持っている
実施チェック3:実践内容と人事評価の接続点が定義されている
ステップ4:効果測定を「研修後アンケート」から「行動・成果指標」に切り替える
多くの企業の効果測定が、研修直後の満足度アンケートで終わっているのは、Kirkpatrickモデルの第1〜第2段階(反応・学習)までしか追跡できていないことを意味します。投資対効果(ROI)を経営層に説明するためには、第3段階(行動変容)、第4段階(業績インパクト)まで指標を引き上げる必要があります。
現実的には、行動指標として「研修内容に基づく実務行動の頻度」、業績指標として「対象部門の生産性・品質・離職率の変化」を3か月・6か月・12か月のタイミングで定点観測する設計が有効です。
実施チェック1:効果測定の指標が「満足度」だけで終わっていない
実施チェック2:行動変容を観察する手段(360度評価、業務ログ、上長レビュー)が定義されている
実施チェック3:12か月後の業績指標と研修コストが、CFOまたは経営層に報告される運用になっている
ステップ5:助成金制度を活用して「投資余力」を確保する
厚生労働省の「人材開発支援助成金」は、2025年4月の制度改正でDX・リスキリング関連コースの利便性が向上しました。要件を満たせば、訓練経費の最大75%、賃金助成も併用できる場合があります。中小企業ほど活用余地が大きく、限られた予算でも質の高い外部プログラムを導入する余地が生まれます。
一方で、助成金は「申請要件を満たす運用設計」が前提です。要件を後から取り繕うのではなく、ステップ1〜4の設計時点で、助成金の対象要件を満たすカリキュラム・時間配分・記録方式を組み込むことが重要です。
実施チェック1:自社が利用可能な助成金コースを、人事部門が一覧化している
実施チェック2:助成金要件と研修設計が、設計初期段階で整合している
実施チェック3:申請業務を担当する責任者(社内または社労士)が明確になっている
第3章 失敗を回避するための推進体制と運用上の落とし穴
「人事だけで進める」設計はほぼ確実に失敗する
リスキリングの失敗事例を分析すると、人事部門が単独で完結させようとした取り組みほど成果が出ない傾向があります。理由は単純で、学習成果を活かす場(現場)、評価する仕組み(評価制度)、投資判断(経営層)のいずれも、人事部門の管轄外で動くからです。
成果を出している企業に共通するのは、人事・現場マネージャー・経営層の三者が、研修設計の初期段階から同じテーブルで議論する体制を組んでいる点です。
「学習中の心理的安全性」を軽視しない
リスキリング対象者は、慣れた業務を一時的に手放し、新しい領域で成果を出す必要があります。この過程で「失敗を許容される空気」がない職場では、学習行動そのものが心理的にブロックされます。
研修プログラムの一部として、心理的安全性を担保するためのマネージャー研修や、対象者同士のピアラーニングの場を組み込むことを推奨します。
「短期成果を求めすぎる」と、本質的なスキル獲得が阻害される
経営層から「研修の成果はいつ出るのか」と問われ、6か月以内の業績インパクトを過剰に約束してしまうと、対象者は表層的なアウトプットに走り、本質的な能力獲得が後回しになります。
効果測定の設計においては、3か月・6か月では「行動変容指標」、12か月以降に「業績指標」を観察する、というように時間軸を分けて経営層に説明する姿勢が、長期的な成功確率を高めます。
第4章 再設計を実装した企業に共通する3つの特徴
実際に成果を出している企業の取り組みを観察すると、業種や規模に関わらず、次の3点が共通して見られます。
特徴1:研修テーマを決める前に、「2年後の事業課題」と「対象者の現在地」のギャップを定量的に把握している。
特徴2:学習時間と実践機会を、評価制度・労務管理に組み込み、「やる人だけがやる」状態を回避している。
特徴3:効果測定を、研修部門のレポートではなく「経営会議の定例議題」として取り扱っている。
言い換えれば、リスキリングは「研修の問題」ではなく「経営の問題」として扱う必要があるということです。
第5章 まとめ:リスキリング成功の本質は「学ばせる」ではなく「使える設計」
本稿で見てきたとおり、リスキリングが進まない原因は学習者の意欲ではなく、設計と運用の構造にあります。
原因1:学習内容が現場実務と切り離されている
原因2:学習時間が業務として確保されていない
原因3:学んだスキルを試す業務が用意されていない
そして、これらを解消する道筋は、本稿の5ステップ――事業課題からの逆算、学習時間の業務化、実践機会の事前設計、行動・成果指標による効果測定、助成金活用――に集約されます。
「学ばせる」発想から、「使える設計」へ。この視点の転換が、人材育成投資を経営的成果に変換する出発点になります。
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参考情報・出典
日本の人事部「企業におけるリスキリング施策の実態調査(2025年6月版)」
パーソルイノベーション ミラエル「リスキリングに取り組む企業は41.7%」
帝国データバンク「リスキリングに関する企業の意識調査(2024年)」
OECD『Training in Enterprises』(2021)
注:統計値は出典時点のものであり、最新の状況は出典先サイトにてご確認ください。
Editor’s Note
本記事は WONDERFUL GROWTH 編集部が、現場の人事・経営者の方々への取材と 自社支援データを元に作成しています。
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